サムスン電子が創立50周年 本社で例年並みの記念式開催へ
【ソウル聯合ニュース】韓国を代表する企業、サムスン電子が11月1日に創立50周年を迎える。白黒テレビの製造からスタートした会社が、半世紀で大きな変貌と革新を遂げて世界の情報通信技術(ICT)産業をリードする存在に成長した。今年は節目の年だが、半導体の市況低迷や日本の対韓輸出規制、韓国前大統領らへの贈賄罪などに問われたサムスングループ経営トップの李在鎔(イ・ジェヨン)サムスン電子副会長の公判などが重なっており、創立記念式の規模は例年と同程度にとどまる見通しだ。 財界関係者らによると、サムスン電子は11月1日に本社のある京畿道・水原のサムスンデジタルシティーで創立記念式を開催する予定だ。半導体事業を統括するデバイスソリューション(DS)事業部門長の金奇南(キム・ギナム)副会長が主宰し、役員・社員が出席する。長期勤続社員の表彰や社会貢献活動の報告など例年と同じような内容になるとみられる。 40周年の記念式では新たな未来の創造と世界トップ10企業への飛躍を盛り込んだ「ビジョン2020」を発表したが、今年はこうしたビジョン発表はない。50周年にしてはささやかな記念式といえる。 サムスン電子は1969年1月に先代会長の故李秉チョル(イ・ビョンチョル)氏が興したサムスン電子工業に始まる。過去最高の業績を記録した2018年の売上高は243兆7000億ウォン(現在のレートで約22兆7000億円)に上ったが、白黒テレビの製造を始めた1972年はわずか18億4000万ウォンだった。また、従業員数は創業当時の36人から2018年には10万3011人(本社)に増加。韓国最多を更新し続けている。 設備投資は1998年の6兆9000億ウォンから2018年には29兆4000億ウォンに拡大。研究開発(R&D)投資も10年で3倍に増え、昨年は18兆6000億ウォンだった。 2000年に52億ドル(世界43位)と評価されたブランド価値は、2010年に195億ドル(19位)、今年は611億ドル(6位)に急上昇した。 こうした目覚ましい成長は、オーナーの二つの宣言が転機になったとされる。李秉チョル先代会長は1983年2月の「東京宣言」で半導体産業への本格進出を発表した。ここから半導体部門の発展が始まった。メモリーのDRAM市況が最悪だった1986年には生産ラインの増設を急がせ、3年後にDRAMが大好況期を迎えると先見の明を評価された。1988年11月にサムスン半導体通信と合併。これに合わせてサムスン電子の創立記念日も11月1日に変更された。 1987年に経営を引き継いだ李健熙(イ・ゴンヒ)会長は1993年、「フランクフルト宣言」で経営方針の転換を発表した。「妻と子ども以外はすべて変えろ」という言葉で知られるように思い切った改革を求めた。翌年、韓国初の携帯電話を生み出し、これが今のスマートフォンブランド「ギャラクシー」成功の礎となった。 半導体事業も1989年まではDRAMの世界市場で日本の東芝とNEC、米テキサス・インスツルメンツに次いでシェア4位にとどまったが、1992年に首位に立った。現在のシェアは40%超と、27年連続で1位の座を守り続けている。さらに2017年にはメモリー以外を合わせた半導体全体でも米インテルを抜いて世界トップに躍り出た。 サムスン電子の成長はサムスングループの事業群も変化させた。事業再編により主力事業の国際競争力のさらなる引き上げを目指す一方、新事業への投資拡大を進めた。李在鎔副会長は「サムスンが生き残るには非主力のグループ会社を整理しなければならない。情熱と自信がある事業をすべきだ」と事業再編の背景を説明したことがある。 同氏は今年、システムLSI(大規模集積回路)世界1位を目標に掲げる「半導体ビジョン2030」を打ち出した。第5世代(5G)移動通信システムや人工知能(AI)、自動運転といった新事業への投資も本格化する。50年先を見据え、サムスン電子の新たなチャレンジが始まった。
朝鮮日報 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/10/30/2019103080163.html
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