【萬物相】#大邱頑張れ

 解放直後の1946年、大邱でコレラが大流行した。帰国した同胞に付いてやって来たコレラ菌が同年5月に慶尚北道清道郡で初の患者を出した。その後、大邱だけで2500人の患者が発生し、1700人以上が亡くなった。全国で最高の死亡率だった。火葬場では火葬できず、共同墓地に薪(まき)を積み上げてそのまま焼くという光景も見られた。切羽詰まった米国の軍政は大邱を封鎖し出入りを禁じた。食糧供給が途絶え、餓死の危機に追い込まれた市民らが通りを埋め尽くし、左翼勢力までうごめいた。

  大邱・慶尚北道のお年寄りたちは今回、武漢コロナ(新型コロナウイルス感染症)の事態で直撃弾を受け、当時の悲劇を異口同音に語っている。大邱は今「幽霊都市」のようになってしまった。もう長いこと日常が崩壊している。人影もなくなり、市民はパニックに陥った。マスクを買う列に並ぶ市民の表情には不安と恐怖感がにじんでいる。500年の歴史を持つ西門市場が初めて営業を取りやめた。国債報償運動記念日の2月21日から2月28日の民主運動記念日まで、予定されていた市民週間行事も中止になった。

  「大邱封鎖」という話が74年ぶりに再び持ち上がってきた。防疫当局が「大邱コロナ」という表現を用いて謝罪したかと思えば、2月25日には青瓦台(韓国大統領府)・政府・与党による会議終了後、「大邱封鎖」云々という発表が行われた。市民らが感じた恐怖と怒りは容易に察しが付く。インターネットでは今、リアルタイムの検索で「大邱コロナ」「大邱新天地」というワードが同時に浮上している。悪質な皮肉も散見される。

朝鮮日報 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/02/28/2020022880216.html

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