デヴィッド・ボウイと「グラムロック」時代切り開いた日本人デザイナー・山本寛斎氏死去
英国の有名ロック歌手デヴィッド・ボウイ(1947年-2016年)と共に、1970年代の「グラムロック(Glam rock)」の派手な衣装や濃いメイクを特徴とするファッション時代を切り開いた日本人デザイナー・山本寛斎氏=写真=が急性白血病で21日に死去した。76歳だった。NHKなどが27日に報じた。デヴィッド・ボウイ公式ツイッターは同日、山本寛斎氏の死去に触れ、以前、同氏とコラボした際の写真と共に「深い哀悼の意を表する」と伝えた。
横浜出身の山本寛斎氏は、土木やファッションを専攻した後、日本人としては初めて1971年に英ロンドンでファッションショーを開くなど、進取的で個性あふれるファッションで注目された。同氏が世界的デザイナーの仲間入りを果たしたのは、1972年から始まったボウイとのコラボ以降だ。ボウイが火星から来た宇宙人をコンセプトにした「ジギー・スターダスト(Ziggy Stardust)」のイメージを作り上げ、ツアーステージの衣装を担当して名をはせた。特に1973年に山本寛斎氏がデヴィッド・ボウイのために製作した、脚の部分がデフォルメされたアバンギャルドなストライプ柄ジャンプスーツは、デヴィッド・ボウイと言えば思い浮かべる衣装として定着した。
山本寛斎氏はボウイ死去後、米芸能メディア「ハリウッド・リポーター」のインタビューで、「私の衣装はデヴィッド自身と歌、彼の音楽の一部になった。彼がこの世に伝えたいメッセージを込める道具だった」と語っている。同氏がボウイのためにデザインした数多くの衣装は、2013年に英国のV&Aミュージアムと2018年に米国のブルックリン・ミュージアムなどを通じて「David Bowie is(デヴィッド・ボウイは)」という展示で称賛された。豊かなシルエットに目をさらう色彩、形態感がつかめない独特な裁断などでマニア的なファン層を形成、エルトン・ジョン、スティービー・ワンダー、最近ではレディー・ガガなどが同氏の服を着て話題になった。世界的デザイナーのジャン=ポール・ゴルチエ、エディ・スリマン、ラフ・シモンズが彼からインスピレーションを得たと話すほどの「デザイナーのデザイナー」でもある。2018年にはルイ・ヴィトンとコラボレーションした衣装を発表するなど、晩年まで活発な活動を展開した。
朝鮮日報 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/07/29/2020072980004.html
横浜出身の山本寛斎氏は、土木やファッションを専攻した後、日本人としては初めて1971年に英ロンドンでファッションショーを開くなど、進取的で個性あふれるファッションで注目された。同氏が世界的デザイナーの仲間入りを果たしたのは、1972年から始まったボウイとのコラボ以降だ。ボウイが火星から来た宇宙人をコンセプトにした「ジギー・スターダスト(Ziggy Stardust)」のイメージを作り上げ、ツアーステージの衣装を担当して名をはせた。特に1973年に山本寛斎氏がデヴィッド・ボウイのために製作した、脚の部分がデフォルメされたアバンギャルドなストライプ柄ジャンプスーツは、デヴィッド・ボウイと言えば思い浮かべる衣装として定着した。
山本寛斎氏はボウイ死去後、米芸能メディア「ハリウッド・リポーター」のインタビューで、「私の衣装はデヴィッド自身と歌、彼の音楽の一部になった。彼がこの世に伝えたいメッセージを込める道具だった」と語っている。同氏がボウイのためにデザインした数多くの衣装は、2013年に英国のV&Aミュージアムと2018年に米国のブルックリン・ミュージアムなどを通じて「David Bowie is(デヴィッド・ボウイは)」という展示で称賛された。豊かなシルエットに目をさらう色彩、形態感がつかめない独特な裁断などでマニア的なファン層を形成、エルトン・ジョン、スティービー・ワンダー、最近ではレディー・ガガなどが同氏の服を着て話題になった。世界的デザイナーのジャン=ポール・ゴルチエ、エディ・スリマン、ラフ・シモンズが彼からインスピレーションを得たと話すほどの「デザイナーのデザイナー」でもある。2018年にはルイ・ヴィトンとコラボレーションした衣装を発表するなど、晩年まで活発な活動を展開した。
朝鮮日報 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/07/29/2020072980004.html
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