【萬物相】光化門を去る米大使館

 乙未事変以後、暗殺の恐怖に苦しんだ高宗は何とかして王宮から逃げだそうと考えていた。その避難先として高宗は米国公使館を選んだ。王宮の外にいた武士たちが景福宮の春生門を通じて高宗を播遷させる作戦だった。しかし実際に高宗が逃げ込んだのはロシア公使館だった。いわゆる俄館播遷(露館播遷)だ。もし米国公使館に逃げ込むことに成功していれば、歴史は俄館播遷ではなく美館播遷として記録されていただろう。そうなれば韓国の歴史は少しでも変わっていたかもしれない。当時、米国公使館があった場所は今のソウル市貞洞の米国大使公邸だった。

  光復後に韓国と米国が正式に国交を結んだのは1949年、米国大使館は現在ロッテデパートがあるソウル市小公洞のバンドホテルにあった。その後1968年に今の光化門に移った。米国大使館が光化門に移転した背景には、韓国の輝かしい成長があった。韓国への無償援助を担当した在韓米国経済使節団(USOM)が韓国政府から与えられた光化門近くの敷地に1961年に2つのビルを建設し、米国大使館と一つずつ分け合った。その後、USOMによる無償援助関連の業務は少なくなったが、大使館が担当する両国の政治・経済・文化・人的交流などに関連する仕事が増えたため、米国大使館がUSOMのビルも使うようになった。

朝鮮日報 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/06/26/2021062680012.html

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