「香港人たち、雨中の悲痛な別れ」

 香港の反中新聞「蘋果日報(リンゴ日報)」が廃刊した24日、支持者たちは香港の東部・将軍澳(Junk Bay)にある蘋果日報社屋前で、「ありがとうございました。ライおじさん(老黎)」と叫んだ。しかし、蘋果日報創刊者のジミー・ライ(黎智英)氏(72)は香港の刑務所に収監され、自ら名付けた新聞社が閉鎖された瞬間を見ていなかった。「香港の言論の自由を守る」として30年以上にわたり築いてきた彼のメディア帝国は、香港国家安全維持法施行から1年で崩壊した。

  中国南部の広東省で生まれたライ氏は、1949年に中国大陸が共産化されると、12歳で香港に密航した。自由とお金を求めてのことだった。同氏は昨年12月、英紙フィナンシャル・タイムズとのインタビューで、「香港は私にとって完全に別世界だった。私は香港で、これまで一度も感じたことのない自由を味わった。それは天国のようだった」と語っている。ライ氏は香港で倉庫、かつら工場、衣料品会社などで働いた。1981年にはアパレルブランド「GIORDANO(ジョルダーノ)」を創業した。

  彼に政治思想を目覚めさせたのは米国だった。アパレル会社で働いていたライ氏は米国のデパートにセーターを売るため、20代だった1960年代末から米国に頻繁に出張した。この時期に彼は社会主義を批判したフリードリヒ・ハイエクやカール・ポパーの著書に魅了された。特に、社会主義の計画経済を批判した自由主義経済学者フリードリヒ・ハイエクの『隷属への道(Road to Serfdom)』はページがちぎれるほど読んだという。ライ氏は回顧録で、「『国家が地獄になったのは、国家を天国にしようとしたからだ』というハイエクの主張に大きな感銘を受けた」と語った。 ■「アジア・パワー指数」1位は米国、韓国7位…中国は?

朝鮮日報 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/06/25/2021062580048.html

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