「北朝鮮軍、6・25退却時に宗教関係者1145人を虐殺」(下)

 研究チームは、北朝鮮軍と共産党員のクリスチャン集団虐殺は退却の過程で起きた一時的・偶発的な事件ではなく、計画された粛清だったと分析した。「キリスト教を不純勢力と規定し、弾圧しようとする政策のせいだった」という。韓国のキリスト教は民主主義、人権などの価値導入の先頭に立つとともに、1920年代からは「反共」の立場も鮮明にしてきた。研究チームは「このため、北朝鮮と韓国左翼勢力は解放直後から6・25戦争に至るまで、キリスト教を親米・反共勢力と規定し、抹殺政策を展開した」と説明した。6・25戦争時、教会やクリスチャンに対する弾圧と虐殺がほしいままに行われる中、金日成(キム・イルソン)は1950年7月、全国に「前科不良者、悪質宗教など」を処罰すべきことを命令したが、この「悪質宗教」にキリスト教が含まれたという。報告書は「クリスチャンの粛清は北朝鮮当局の公式の指示事項に基づくもの」とし「こうした指示によって人民共和国はクリスチャンを虐殺した」と記した。また「こうした虐殺は、大部分がきちんとした法的な手続きを経なかった」とも指摘した。現場では「人間狩り」のような蛮行が横行したという。 ■報復より許しを選んだ宗教者たち  さらに研究チームは、クリスチャンはこうした被害を受けたものの報復よりも許しを選んだ、という調査結果も伝えた。66人が犠牲になった餅村教会の場合、集団虐殺に同調した加害者らに報復しなかったという。全羅北道井邑の斗岩教会の場合も、加害者を許し、彼らをキリスト教の信者にして共に信仰生活を送った。全羅南道荏子面の鎮里教会で敵対勢力に殺されたクリスチャンの息子が軍人になり、報復する機会を得たが、これを拒否して町の里長になり、分裂していた村を一つにまとめることに務めた-という例もあった。

  鉄原・長興教会のソ・ギホ牧師は、9・28ソウル修復後、敵対勢力の手に掛かって家族を失った右翼青年らが左翼や残された家族など100人を処刑しようとするのを防いだ。1951年の1・4後退で戻ってきた左翼らは、自分たちの家族が殺されていないのを見て、右翼に報復しなかった。だがその後、戦況が再び変わって左翼が38度線以北に退くことになったとき、人民軍はソ牧師を逮捕・処刑した-と報告書は明かした。

  研究チームは昨年8月から12月にかけて過去の文献資料や関係者の証言を集め、被害地域を直接訪問して研究を進めた。一部の教団資料や個人研究者などはあったが、統計を信頼できず、また目撃者や経験者がほとんどいない状況で、具体的な被害状況を正確に把握するには困難があったという。金光東(キム・グァンドン)真実和解委常任委員は「敵対勢力のクリスチャンに対する集団虐殺と宗教抹殺政策を国家機関が公式確認したことが、今回の調査の意味」だとし「真相究明と名誉回復・被害救済に積極的に乗り出したい」と語った。 キム・ミョンソン記者

朝鮮日報 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2022/02/25/2022022580112.html

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