【コラム】5・18民主化運動で亡くなった警察官も犠牲者だ

 チョン・ウォンヨンさん(53)は42年前の1980年5月21日を、今でも生々しく覚えている。その日は釈迦(しゃか)生誕日だった。当時11歳だったチョンさんは、学校に行かなくていいと思って浮かれていた。ところが外が騒がしくなり、玄関が開いたので出てみたら、母親が失神状態で近所の大人たちに抱えられて入ってきた。驚いたチョンさんは家の中でわんわん泣いたという。警察官だった父親は、家に戻ってこなかった。大人たちは「お父さんは亡くなられた」とだけ言った。理由をきちんと教えてくれる人はいなかった。

  父の死のいきさつを細かく知ったのは、それから6年ほどたった高校生のときだった。ある日、学校が終わって帰宅すると、父と一緒に仕事をしていた警察の同僚が家でチョンさんを待っていた。「これだけ大きくなったのだから、お父さんがどのように亡くなられたか教えてあげたい」と言った。チョンさんは中学・高校を経る中で、父が戻ってこなかった1980年5月20日、光州で何か大事件が起きたということは知っていた。父はそれに巻き込まれたんだろうとおおまかに推測するだけだった。ところがこの日、父親の同僚から聞いた話は、彼にとって大きな傷となった。

  チョンさんの父親、チョン・チュンギル咸平警察署警査(巡査部長に相当)はその日の夜、デモ隊の全南道庁突入を防ぐため投入された警察官数千人のうちの一人だった。だが部隊員と一緒に一休みしていたそこへ、デモ参加者の一人が運転する高速バス1台が突っ込んできた。このバスをよけることができなかったのだ。父親の同僚は「お父さんの顔はつぶれ、右の腹部から肉片が大きくちぎれていた」「当時は状況があまりにも急迫していて、遺体を火葬した後、遺骨だけをもらってきた」と語った。それは単にチョンさんだけのことではなかった。その日、現場では咸平警察署所属のイ・セホン警長(巡査長に相当)、パク・キウン警長、カン・ジョンウン警長の3人も亡くなっていた。

  殉職者の遺族らは、チョンさんのように自分の家族がどのように生涯を終えたのか正確には知らず、また家族を失っても悲しみを表に出したり誰かのせいにしたりすることもできずに生きてきたという。1980年5月に光州へ投入された警察官だったと言うと「罪なき人々を殺した殺人者」という指弾が返ってくるのが常だったからだ。5・18民主化運動の過程で傷ついたり命を落としたりした人々だけでなく、この人々もまた歴史の被害者だった。

  5月19日、当時バスの運転手だった77歳の男性がソウル市銅雀区の国立顕忠院で、自分の運転するバスにひかれて亡くなった警察官の遺族と対面した。昨年から、民間人ではない軍人・警察官の死亡・障害についても被害調査を始めた5・18民主化運動真相究明調査委員会が用意した席だった。男性は遺族に初めて公に謝罪し、遺族らは謝罪を受け入れた。遺族らは「父の名誉回復が唯一の望み」と語った。今回の対面が、傷を癒やすきっかけになればと思う。 朴正薫(パク・チョンフン)記者

朝鮮日報 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2022/05/27/2022052781316.html

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