太平洋戦争の被害国めぐり「謝罪」した明仁天皇、訪韓は宿題のまま

明仁天皇は何を残したか 在任初期は存在感大きくなかったが今では国民統合の象徴に 終戦記念式典のたび「過去を反省」…戦争責任に沈黙の安倍首相と違い

  昨年8月、東京都内の日本武道館で行われた全国戦没者追悼式。安倍晋三首相は「明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いていく」と強調した。周辺国が受けた被害に対する謝罪はなかった。だが、続いて登場した明仁(平成)天皇は違った。「過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願う」と述べた。安倍首相は2012年に再び政権をとってから6年にわたり戦争責任に言及していないが、明仁天皇は4年連続で「深い反省」に言及した。

  1989年に55歳で即位した明仁天皇は、安倍内閣をはじめとする政界が「強大国・日本」の旗印の下に右傾化する中、周辺国に配慮する役割を果たしてきた。国内的には障害者スポーツの後援や被災地訪問を通じ、立場の弱い人々を励ましてきた。毎日新聞はこうした明仁天皇について「国民統合の考えが強い」と評価した。

  明仁天皇は2016年、自ら生前退位を決め、長男・徳仁皇太子を新天皇とする「令和」時代を切り開いた。軍国主義の狂気が絶頂だった1933年に生まれ、第二次世界大戦の末期には米軍の空襲を避けて栃木県日光などへの疎開を余儀なくされた。日本の敗戦後、たった数カ月で廃墟になってしまった東京に戻って大きな衝撃を受けた。そして、再び戦争が起こってはならないと強く決意した。その後、1991年のタイ・マレーシア・インドネシア訪問を皮切りに、中国やフィリピンなど太平洋戦争被害国のほとんど訪れて謝罪の意を明らかにし、平和を強調した。昨年12月に「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)している」と述べたのは本心からの発言だった。明仁天皇が平成時代に残したのは「戦争のない日本」「平和を追求する日本」というメッセージだ。

  父の裕仁(昭和)天皇の病死により即位した明仁天皇は在任初期、存在感がそれほど大きくなかった。その明仁天皇が今では「国民統合の象徴」として確固たる存在となったのは、「ひざまずく絶対者」として国民に寄り添ったからだ。

朝鮮日報 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/04/30/2019043080226.html

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