「中国の敦煌莫高窟から帰ってくると石窟庵が大きく見える」

  「敦煌の踏査は苦行と感動がずっと交差する夢のような旅路だった」

  満70歳になる年を控え、明智(ミョンジ)大学韓国美術史研究所長の兪弘濬(ユ・ホンジュン)教授(70)は昨年と今年初めにかけて自身の長年のロマンをかなえた。そのロマンとは敦煌・シルクロード踏査だ。「これ以上先送りすれば永遠に行けないかもしれない」という考えから、タクラマカン砂漠の果てを目指して出発したこの道を「夢の旅路」といって強調した。

  最近兪教授が出した『私の文化遺産踏査記 中国編1、2』は、西安から出発して河西回廊を経て敦煌鳴沙山まで2000キロに達する旅程の記録だ。その感想を兪教授は「名不虚伝」(その名声には理由がある)の4文字で圧縮した。続いて「その感動の響きがあまりにも大きいため、『名』の代わりに『鳴』を使いたい」と言って「鳴不虚伝」に訂正した。兪教授に「鳴不虚伝」についての話を乞うた。

  --1993年『私の文化遺産踏査記』第1巻の出版以来、これまで全16巻(国内編10巻、日本編4巻、中国編2巻)が出版された。初めからビッグフィーチャーを描いていたのか。

  「いいや。1巻目を出す時は国内編3巻で完結する計画だった。ところがこれが運命だったようだ。北朝鮮編を出すことになるとは思わなかったが、中央日報を通じて南北両側から公式許可を受けて北朝鮮まで現地調査した。過去26年間、『画人列伝』(2001年)、『書聖 金正喜評伝』(2002年)など美術史本のほうを多く出し、単なる在野美術史家である私が文化財庁長(2004~2008)まで務めた。時間が流れて私自身も変化して成長してここまできた」

  --中国編踏査として真っ先に敦煌・シルクロードを選んだ。

  「北京や蘇州・杭州のような古都から始めれば中国人が主張する中華思想の話を避けては通れなくなる。また、東北3省満州から書けば愛国主義的立場が強調されるような気がした。それよりも東アジア全体の中から中国を見つめ、東西文化交流の接点を見るために敦煌・シルクロードを出発点としたかった」

  兪教授の敦煌踏査は全3回、25日間にわたって行われた。最初の旅程は西安-河西回廊-トルファン-ウルムチで、2回目の踏査はウルムチからタクラマカンを経てパミール高原で終えた。3回目は嘉峪関-楡林窟-敦煌莫高窟-陽関と玉門関を訪れた。

  --敦煌踏査がなぜロマンだったか。

  「敦煌はシルクロードの関門だ。美しい砂丘陵『鳴沙山』と伝説的な石窟寺院『莫高窟』がそこにある。莫高窟は仏教美術の源流を語る上で絶対に避けては通れない場所だ。海外旅行が自由ではなかった1980年代にはロマンさえ抱くことができなかったが、84年日本NHKのドキュメンタリー特集『シルクロード』30部作を見てからずっと憧れてきた。『敦煌学』が別途あるほどで、敦煌は中国の歴史を理解して仏教文化交流史を理解するための核心だ」

兪弘濬氏「中国の敦煌莫高窟から帰ってくると石窟庵が大きく見える」(2)



中央日報 https://japanese.joins.com/article/853/252853.html

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