涙見せた安倍首相「政治は結果が重要、結果出せないようなら退く」

 28日に辞任の意向を表明する記者会見をした日本の安倍晋三首相は涙ぐみ、唇を時々かんだ。第1次安倍政権時の2007年9月に持病の潰瘍(かいよう)性大腸炎で辞任したのに続き、その13年後に同じ理由で退かなければならなかったことに対する痛恨の念が込められているかのようだった。

  安倍氏はこの日、約5分にわたり自身の健康状態に異常があることを明らかにした。「6月の定期検診で(潰瘍性大腸炎)再発の兆候が見られると指摘を受けた。薬を使いながら全力で職務に当たったが、7月中旬ごろから体調に異常が生じ、体力をかなり消耗する状況となった」「8月上旬には潰瘍性大腸炎の再発が確認され、現在の薬に加えて新しい薬の投与を行うことにした。投薬の効果があると確認されたものの、継続的な処方が必要であり、予断は許さない」と説明した上で、「政治において最も重要なことは結果を出すことだ。病気と治療を抱え、体力が万全ではない中、大切な政治判断を誤ること、結果を出せないことがあってはならない」として、辞任を決意したと述べた。体調悪化で首相の職を務められない状況になったことを明らかにしたものだ。これにより、2012年12月の第2次政権発足から7年8カ月で「安倍1強」時代に自らピリオドを打った。

  安倍氏は母方の祖父に岸信介元首相、父に安倍晋太郎元外相を持ち、1993年に国会に初めて進出した。父の最側近だった森喜朗首相(当時)の助けで官房副長官になった後、小泉純一郎政権で官房長官となり活躍した。2006年に安倍氏は52歳で「戦後最年少首相」としてスポットライトを浴び、権力の座に就いた。だが、リーダーシップ不在との批判に苦しみ、持病が悪化して1年で辞任した。

  その後、病気の治療に専念する一方、「失敗ノート」を書きながら再起のため腐心した。2012年に第2次政権を発足させた後は、「大胆な金融政策・機動的な財政政策・民間投資を喚起する成長戦略」を中核とするアベノミクスで経済に活力を吹き込んだ。同氏が第2次政権を発足させた時、日経株価指数は1万80前後だったが、すぐに2万台になった。ついこの間まで大卒就職率は98%に達するほどだった。

朝鮮日報 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/08/29/2020082980016.html

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