平和運動の先頭に立った益川敏英さん死去=2008年ノーベル物理学賞

 2008年にノーベル物理学賞を受賞した京都大学の益川敏英名誉教授(81)が23日、上顎(じょうがく)歯肉がんで死去した。日本メディアが30日に報じた。

  益川氏は1973年に京都大学で小林誠氏(77)と共に「小林・益川理論」を発表した功労を認められノーベル物理学賞を共同受賞した。「小林・益川理論」は素粒子「クォーク」は6種類以上存在することを明らかにしたもの。益川氏は「英語ができない変わり者の科学者」としても有名だった。英語ができないため海外の学会などには参加せず、ノーベル賞の授賞式に出席するためスウェーデンに向かう際にはじめてパスポートを作ったという。受賞の感想も「私は英語ができない」と英語で一言語っただけで、あとは日本語で話した。同年日本政府から文化勲章を受けた際「私は文化人ではなく野蛮人」と冗談を言ってのけた。しかし後輩や学生たちには「英語が読めなければだめだ」と訴えていたという。

  益川氏は自らを「戦争について語ることのできる最後の世代」と評し、平和運動の先頭に立った。幼い頃に生まれ故郷の名古屋で経験した「名古屋空襲」の影響を受けたという。侵略戦争を禁じた日本の憲法第9条の改憲に反対する「九条科学者の会」の呼びかけ人となり、その代弁人も務めた。2015年には「科学者は戦争で何をしたか」という書籍を発行し、防衛省や米軍の支援を受けて軍事関連の研究を行う最近の大学の風潮を批判した。

朝鮮日報 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2021/07/31/2021073180002.html

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