【コラム】文在寅大統領の肖像画(下)

 「大統領の選挙中立」は規定があいまいで、守るのが難しい。それでも韓国の憲法はそうしろという。大統領職務が63日間停止された2004年3月12日の盧武鉉大統領弾劾も総選挙への介入発言が禍根だった。2月13日に青瓦台をやめてネパールへ旅行へと出発した文在寅民情首席秘書官=当時=はすぐに帰国して弁護団を率いた。大統領の選挙介入発言がどれほど危険なのか、身をもって経験した。それでも「ルールなのか分からない」と言った。「盧武鉉は間違っていなかった」という意地だろう。

  最も印象的な言葉はこれではなく、別にある。「大韓民国の正義を特定の人々が独占することはできません」「常にいつも問題なのはあっちなのに、こっちの方がはるかに小さいのに」…。「正義は自分のものだ。お前らは汚い」と記者には聞こえてしまった。

  執権勢力は正義に対する定義さえ独占した。「こっち」の正義に反すれば、「あっち」はまさに積弊(前政権による弊害)となった。政策も、人事も、捜査も、防疫もそうしてきた。間違っていると指摘すると、「お前らはもっとひどかった」と言った。

  小説『ドリアン・グレイの肖像』が思い出される。美しい青年ドリアンは自分の肖像画の前で、自分自身の体ではなく絵が老いていくことを願った。そして、願い通り「永遠の20歳」の青年として生き、多くの罪を犯した。自分自身の代わりに肖像画が年を取り、醜くなっていった。肖像画を見たドリアンが激怒し、絵をナイフで切り裂くと、彼の体からは本物の血が流れた。

  若さや美ぼうといった言葉の代わりに「正義」を入れてみよう。執権勢力は人生で一番良かった瞬間をはく製にして肖像画とし、現実では別の人生を生きた。醜いと批判すれば、自分の肖像画が見えないのかと怒った。

  権力を手放すということは、醜い自分の肖像画と向き合うということだろう。どんなファンや支持者、こびへつらう人々、支持率もそれを代わりにしてくれることはない。今は大統領の感情が最も激しくなっている時だろう。「忘れられたい」といった過剰な言葉も必要ない。退任後、平常心を取り戻した大統領に、自分の肖像画と淡々と向き合ってほしい。 朴垠柱(パク・ウンジュ)エディター兼エバーグリーン・コンテンツ部長

朝鮮日報 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2022/04/30/2022043080036.html

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