【萬物相】「演技の神」ソン・ガンホ

 釜山の青年ソン・ガンホは除隊した後も大学に復学しなかった。ソウルに行って劇団に入ろうとしたが、3回も断られた。4回目の上京でやっと「連絡先を残していけ」と言われた。その後、かかってきた最初の電話は「イベントが終わった舞台の撤去を手伝ってほしい」という依頼だった。そうこうするうちに舞台に立つようになり、「これが最後になってはいけない」と必死に演じた。そして、端役を探していたイ・チャンドン監督の目に留まった。

  それ以降のソン・ガンホのフィルモグラフィーは華やかだ。『グエムル-漢江の怪物-』『パラサイト 半地下の家族』など観客動員数1000万人以上を記録した映画4作品に出演した俳優はソン・ガンホだけだ。彼が主演した映画の累計観客動員数は1億人に達する。ソン・ガンホを映画ファンの脳裏に初めて刻みつけた作品は、イ・チャンドン監督の映画『グリーン・フィッシュ』(1997年)だ。相手役男優の服を脱がせ、ライターでその体毛を焼いていたぶるチンピラ役だった。動画共有サイト「ユーチューブ」にそのシーンが今も残っている。タイトルは「これ、チンピラ俳優? それとも本当のチンピラ?」だ。ソン・ガンホはその時、すでに演技の神だった。

  ソン・ガンホを多くの人々の記憶にしっかりと刻みつけたのは、同年の映画『ナンバー・スリー No.3』の安宿のシーンだ。使い走りたちをひざまずかせて「(貧しくて)インスタントラーメンばかり食べていても金メダルを取った(女子卓球選手)玄静和(ヒョン・ジョンファ)のようにハングリー精神を持て」とひとくさり演説をぶったものの、「玄静和じゃなくて(女子陸上選手)林春愛(イム・チュンエ)」と指摘されたシーンだ。怒りで声を震わせて言葉に詰まる演技は韓国映画史上の名シーンとして残っている。彼が叫んだ「オレが玄静和と言ったら玄静和なんだよ!」というセリフはその年の韓国映画界から出た一番の流行語になった。

  ソン・ガンホがカンヌ国際映画祭で男優賞を取った。同じ作品に最高賞のパルム・ドールと男優賞・女優賞を同時に与えない同映画祭は、『パラサイト 半地下の家族』にパルム・ドールを贈った時、同作品で主演したソン・ガンホに男優賞を与えるかどうかで悩んだ。1984年にイ・ドゥヨン監督の『糸車よ糸車よ』がカンヌ国際映画祭の「ある視点」部門に選ばれるまで、韓国映画はよそ者扱いされていた。映画の中心を目指す長い道のりは女優たちから始まった。カン・スヨンがベネチア国際映画祭で女優賞、チョン・ドヨンがカンヌ国際映画祭で主演女優賞を受賞、昨年はユン・ヨジョンがアカデミー賞で助演女優賞を受賞した。

  アカデミー賞を席巻し、カンヌで監督賞と俳優賞の受賞者を同時に輩出した韓国は、既に名実共に映画一流国だ。世界の映画人たちが韓国の映画人と共に映画を作るために、韓国行きの飛行機に乗る。ソン・ガンホに男優賞を取らせてくれた映画『ベイビー・ブローカー』を見ても、日本の有名監督である是枝裕和監督が手がけ、監督賞を受賞したパク・チャヌク監督の『別れる決心』では中国人女優タンウェイが熱演した。イタリアの監督が作った映画にドイツやフランスの俳優たちが出演するヨーロッパの撮影現場の風景が、いつのまにか韓国のそれになった。 金泰勲(キム・テフン)論説委員

朝鮮日報 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2022/05/30/2022053080741.html

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